( かつお )   堅魚 ( かつお )   鰹魚 ( かつお )   松魚 ( かつお )

時候 晩春(4月)~晩秋(10月)
※初鰹(5月) 戻り鰹(9~10月)

サバ科に属する海産硬骨魚。カツオは温帯から熱帯海域の世界中に生息している魚である。本邦では太平洋側を回遊。3月には西表島・沖縄に出現し、4月には鹿児島から土佐沖、5月には駿河沖、相模沖、房総沖、6月には鹿島灘、7月には金華山沖、8月には三陸沖、9月には北海道この頃反転南下をするのがカツオの回遊過程。黒潮と親潮の流れにより季節のずれが生じるのも自然のいとなみである。カツオは日本人にとっては親しみ深い魚。

特徴 体は紡錘形をなし、体色は背側濃い藍色で腹側は無地の銀白色。死ぬと縦縞が表れる。鱗は胸鰭の所に少しあるのみである。体長は稀に90㎝に達するものもあるが、本邦回遊は春先に50㎝位、2~3㎏位が主。秋には60から70㎝に成長。本邦回遊は2~3年ものが主である。

産卵期は6~7月頃で日本海域では産卵は行われない、南洋諸島で行われる。

食性はイワシ、アジ、イカ類で決して死んだものを食わず、濁りの海水に入らず、澄み切った海中を回遊する。

漁獲は春先黒潮に乗り鹿児島、高知、和歌山と太平洋に北上し、秋には三陸、北海道で反転する頃は戻り鰹として脂肪が乗る。

漁師は魚群を探しあてるのに何日も航海を続ける。見当は適水温(20~24度)を求め、今は魚群を探すのに探知機を使用する。

昔の漁師は ○鳥付き ○木付き ○魚付き

○瀬付きを重視した。

○鳥付き→海鳥の乱舞の発見。乱舞の下には鰯群がいる。餌を求めてカツオが集まる。

○木付き→大きな流木の下に藻や海草が自生、魚類の好餌たる色々の蟲類が群。

○魚付き→魚同志が互いに助け合う 鮫付き・鯨付き。

○瀬付き→日本近海では南西諸島、小笠原諸島の周りに見ることが出来る。瀬付きに於いては天然の餌が豊富でカツオでも生息する。

昔の漁師は先人よりの教えと勘に頼ったところが大きい。

漁法 2通りで釣と巻き網である。

釣の場合はカツオの群れを発見し、餌となる生きたいわしと海水を撒いてカツオを興奮させ、釣竿で1尾ずつ豪快に釣り上げる。

もう一つの漁法は南洋での遠洋漁業では巻き網みという漁法で漁獲し、冷凍され日本に運ばれる。

月毎の食味

3~4月の頃脂肪少なくかつお節の原料。

土佐名物のカツオの叩きとして賞味する。

5月の頃遠州灘を超えて伊豆半島に達するあたり脂肪がのり初鰹の季節を迎える。

6月房総沖 鹿島灘 7月金華山 8月の三陸と日毎に脂肪が加わり 刺身、叩き 銀皮造りと楽しめる。

9月~10月戻りカツオの季節 脂肪が乗り、最上のカツオをあじわうことが出来る。

※江戸時代に於いては初鰹は高嶺の花であったが、戻りカツオに於いては価値はなく魚毒があるから多食をいましめたとある。

料理

※叩きは土佐が有名。焼目を付ける時 藁を使用、カヤ、松葉も用いる。今日ではガスバーナー 3枚に卸し塩を当て焼いて団扇であおいで 引重ねとなし薬味をのせて庖丁で叩きメンキに移しかえ 二杯酢 ポン酢に漬すこと30分程、いい加減に味が乗るのが本式のカツオの叩きです。

薬味は紫蘇・茗荷・生姜・葱・ニンニク・大根卸し・蓼などお好みである。

その他生食では

お造り 塩叩き カルパッチョ すし種

汁 荒汁 醤油仕立 潮仕立 煮る。なまりと夏野菜の煮物。

なまりと隠元豆・なまりと茄子 なまりと筍

カツオの角煮・銀皮の塩焼き・炊き込みご飯 加工品 酒盗

かつおの歴史

古文書では『延喜式』(平安時代 905年 律令制度細式) 『 和名類聚抄 ( わみょうるいじゅしょう ) 』( 和名抄 ( わみょうしょう ) ともいう 平安時代 939年 辞書)に堅魚と記され、干魚(保存食材)となした。『古事記』(712年 神話) 『日本書紀』(720年 歴史書)には堅魚釣りの事が載っている。太古より食用としたらしく、今日のような生食ではなく、乾食らしい。『延喜式』には堅魚節の製法が記されている。この時代ではカツオ節の名はなくカツオと言っていた。平安時代までは生食はなく堅魚を有毒視し乾かせば其の毒は解消するものとばかり思いこんでいた。

一般的に生食の始まりは鎌倉時代からであり、足利時代には食界の王者として賞賛されるようになる。四條流庖丁切形の中に鯉・鯛の次3番目に鰹の手続書が置かれている。

武家社会では 勝魚武士 ( かつおぶし ) などの文書をあて、贈答品として縁起を祝うものとされ、今日でもその名残がある。

江戸時代の江戸に於いて、初鰹は庶民にとっては夢物語。文化 文政の頃(江戸後期)初鰹の価格は1匹3両(1両5万円)と高価。

当時は金の山を積んでも初鰹の入手はなかなか入らない。それは漁船の帰りを待ち受け先がなければ手に入らないものであった。

初かつおに因む俳句3題

目には青葉 山ほととぎす 初がつお 素堂

山口素堂(江戸前期 俳人 1642~1716年)

初がつお からしなくして 涙かな 生島

生島新五郎 歌舞伎役者 1671~1743年江戸生島事件の中心人物

その芥子 きいて涙の 初がつお 団十郎

市川団十郎2代目 歌舞伎役者 1688~1758年

江戸の食文化の中での初かつおは「はな」であった。関西での初かつおの文化は聞かない。

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